アートフェア東京


アートフェア東京
開催日
2005年8月6日(土)~8月8日(月)
会場
東京国際フォーラム 地下2階 展示ホール1
開場時間
10:00am ~ 8:00pm (最終日は5:00pmまで)

8月の頭に開催される【アートフェア東京】。
ギャラリー玉英のブースに“仏”の新しいシリーズ、夢シリーズ5点を含め新作11点を出展します。
100以上もの画廊・古美術商のブースが並ぶそうです。そんなに沢山の作品を一度に見られる機会もそうそう無いと思い、私もとても楽しみにしています。
お時間がございましたら是非足をお運びください。
アートフェア東京公式サイト

太瓶束

以前納めた太瓶束(たいへいづか)ですが組み上げてから違和感があるというので手直しをすることになりました。
施行現場の不安定な足場板の上での仕事は久しぶりです。
太瓶束は屋根の妻(つま)部分にあるものです。足場自体も6m程の高さなので気を使う作業となりました。
数人の宮大工さんがけずる・切る・打つという動の空間の中、黙々と手を進める私は一人静の世界に入り込み無事終了させて帰ってきました。
私は社寺建築の時は周りの人から彫刻屋さんと呼ばれています。
仏像彫刻の時は仏師さん、個展の時は先生と・・・?
仕事によって呼び名は変わりますが、いいものを作るという気持ちは変わりません。

おまけ
庭の草むしりをしていたらふ化したばかりの蝶を見つけました。

安全な場所へ移動させてあげました。

ウォーキング


独身時代の偏った食生活と運動不足・飲酒・喫煙がたたり、独立してすぐに体調を崩しました。
検査の結果腎臓結石を発見。(宝石なら良いのですが)
直径2cmの石は尿管に詰まり腎臓肥大を起し、緊急入院・手術と相成りました。
妻は自業自得だと笑っていました。
2週間の入院の内容は・・・。
その件についてはまたいずれ書こうと思います。けっこう笑えます。

小学校入学前に急性腎不全で2ヶ月入院しているので2度とも腎臓とはもう体質だと思い、2度あることは3度と諦めて健康に気をつけている今日この頃です。

主治医の先生から歩くことを勧められ、退院してからは早朝に近くの公園の雑木林の中をウォーキングしています。
それなりにアップダウンがあり約1時間程ですが良い汗をかいています。

先日、慣れた道なのか気が緩み、下り坂で右足首を見事ひねり階段を3、4段落ち捻挫してしまいました。
かなり腫れてしまいました。
弟子時代から制作中はあぐらなのですが、その姿勢が出来ず仕事にかなり支障が出ました。

入院後もこりずに晩酌を毎日してますが(それなりに)、体は程々に健康を保っています。

思い出を辿り桜散策

源平池に枝を伸ばした桜を右手に見ながら国宝館を通り、若宮前の桜を見る。
足は小町通りを中ほどで右に折れて一路源氏山へ。寿福寺を通り抜け源頼朝像のある源氏山公園の桜。化粧坂を降りず葛原岡神社前の桜、ここは八重桜のためもう少し後日が見頃でした。

鎌倉で一番有名な桜の名所、若宮大路段葛の桜をスタートに二ノ鳥居から歩き始めました。満開の花のトンネルをゆっくり歩き、鶴岡八幡宮へ。

地元の人しか歩かない道を梶原へ。この辺りは小さな公園や道沿いに桜があります。

家々の間を歩き、数年前までよく通った道に咲く桜たちと広い中央公園の中の桜を堪能しました。3時間ほどの散策でした。

源氏山から梶原の辺りは私の友人が腰に缶入りピースをぶら下げ片手にカップ酒片手に文庫本を持ち、下駄を鳴らしながら気に入った場所で花見をよくしていた所です。
「ねがわくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」

好きだった西行の歌通り、5年前の春に亡くなりました。42才でした。
私も桜の頃は好きです。
しかし心に穴が空くのもこの頃です。

きっかけ

早いもので彫り始めて30回目の春が来ます。
今回は私がこの道に入るきっかけとなった事を少し書こうと思います。

小学校の修学旅行で訪れた日光東照宮を飾っていた龍の彫刻を見たことからです。
自分もあんな龍を彫ってみたい!と憧れ、高校卒業後周囲の反対を押し切り鎌倉で工房を開いていた師匠へ住み込みで弟子入りしました。
右も左もわからないうちからいきなり社寺建築彫刻を彫ることとなり無我夢中で仕事をこなしました。
彫り上がれば二百年、三百年と後世に残るものになることを知り、責任の重さに悩み、実家へ帰りたいという泣き言を言う暇もないまま月日が流れました。

一口に建築彫刻と言いましても様々な種類の彫り物があります。
4mを超える欄間彫刻から蟇股(かえるまた)・木鼻(きばな)・笈形(おいがた)・手挟(てばさみ)・虹梁(こうりょう)・懸魚(げぎょ)・兎の毛通し(うのけどうし)など、聞き慣れないものばかりでとまどいました。
しかも中に納まる仏さまの彫刻もほぼ同時進行で勉強していかなくてはならず、大変苦労しました。
師匠に従事して納めた仏さまは関東のみならず本州各地に至っております。
龍を彫りたいという単純な思いから飛び込んだこの世界で培った技術は、細かった右腕をたくましい職人の腕へと育ててくれました。

後日知ったことですが日光東照宮も師匠が修理していました。(昭和の大修理)

おまけ
久しぶりに蟇股を彫刻しました。椿に鳥がとまっている図です。

下絵

木取り

荒彫り

彩色中

完成